モラトリアムを終える
遂に腹をくくり戦う日が近づいてきたし、何なら戦い始めなければならない日々がいまある。
人生の岐路はだいたい3年ごとに訪れるように感じる。
僕らは中学から高校、高校から大学、ひとによっては大学から大学院、そのように事あるごとに、ふるいにかけられ、そのたびに自身に絶望し、夢や希望を語り、立ち向かってきた。
むかしの慣用句に「3」という数字がたくさん出てくるように、それはきっと意味のある、いつの時代を生きていても価値ある、そんな数字なんだろう。
簡単に計算してみよう。
「自身の判断で自由に利用できる時間」という意味で「可処分時間」という言葉がある。
可処分時間とはどういう意味? 有効な使い方とは | ビジネスマナー | ビジネス用語 | フレッシャーズ マイナビ 学生の窓口
学生にとっての可処分時間、つまりここでは21か22歳までの可処分時間の話をする。
睡眠時間を平均7時間として、それ以外に使える一日の時間は24-7=17時間。授業を5時間と仮定して、17-5=12時間。
僕らはそれを1週間、1ヶ月、そして1年と繰り返す。大学3年間はそんな時間を
3年×12ヶ月×30日×12時間=12,960時間
それは約13,000時間。
一分野の天才になるために、要する時間は1万時間であるという
「1万時間の法則」というものがある。
人生3年捨てる覚悟ある? 成功するために必要な「1万時間の法則」 - まぐまぐニュース!
それは三年であるのかもしれない。つまり、それだけで食っていけるようになるには三年が目安であり、その三年は重い。誰にとっても。
きっとその間に色んなひとやものに出会い、別れ、立ち止まり、過ぎ去り、涙を流したり、歯を食いしばったり、温もりを感じたり、潰れたり、失くしたくないものを失くしたり、思わぬものにぶつかり、自暴自棄になり、全てが嫌になって、それでも人の心を最後まで信じたくて、そんな日々を繰り返す。そう思う。
だから、肩の力を抜いて、ありのままでポテンシャルを買ってもらえればいい。そんな気持ちで勝負すればいいし、認められなければ、自分の最高だったり、最低だったり、それを見つめ直すいい機会になるのだろう。
まとまってないけど、そういう清々しい夕暮れ。